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昔は割烹着にアームカバー、大きなサンバイザーを着けたおばさんたちが、機械を入れられない小さな田んぼで手植えをしていた。この道路からもよく見えた。
そしてこの市でも過疎は進み、耕作放棄地も増えた。水田跡のムカシヨモギと立ち枯れたハンノキの間に、サンバイザーの人影が相変わらず。
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新作のAI描画ドラマを連日攻撃しているのは、僕が勤め始めた頃からのネット識者みたいな人。
「一見笑顔だが本質的に異質なものだ、むしろ人の表情ではありえない」
AIは実際の人間の表情を学習している。彼は外へ出なくなって何年経つのか。僕も教室の生徒たちも、あの表情で生活してるんだ。
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花筏といえば、そのままの名の樹種もあるが、歌に取り上げられたりするのは桜の花びらが水面を流れる様子を指すことが多い。
この桜の花筏は各地に名所もあるが、近くにも上流にも咲いてないのに川面を埋め尽くしたという話がいくつかある。所伝も因縁も不明なものばかりで、再発もしていない。

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夢の中では私は何歳くらいだろうか、ついに会うことの無かった弟の手を引いて、もう存在しないデパートを巡る。
顔も声も何歳で死んだかも知らない弟は、小さい頃の私と同じように、フォークがうまく使えない。
泣きそうな弟を抱きしめて、この後何が起きるか私は知っている。
焦げるにおい。
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厄を引き受ける人形の風習は現代でもよく見られ、私の母も免許取り立ての頃はダッシュボードに人形を座らせて運転していた。いつの間にか見なくなっていたが、学生の頃に家中の本を整理していると、土蔵の古雑誌の段ボールの中から色鮮やかなまま出てきた。
私が免許を取った翌月だった。
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野放しにされた自動学習はあらゆる媒体のあらゆる人の顔を取り込み、無数の実在しない人の顔を無数の画像として出力した。AIの出力に著作権を認めない法律は、膨大な境界事例の前にあっけなく押し潰された。
今では誰もが顔を隠して歩く。既に存在していて著作権を押さえられている顔だから。

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御所桜には二通りの意味がある。一つは品種名で、桜の場合は大輪の八重が五輪ずつまとまって咲く。五所桜とも書く。
もう一つは皇室所縁の古木につく個体名だが、伝説の要素の実在が確認できない場合も結構ある。主役の皇子や尼御前、木が現存しない場合は住んでいた屋敷や谷や村、国など。
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花曇りの下では誰もが影を従えずに歩く。この世のものではない何かが紛れて逍遥していても見分けはつかぬ。
そう思って眺めていると一人だけ、濃い影を足下に随けて歩くインバネスの紳士がある。気づかぬふりをしようか。
彼はすれ違いざまに「現世は晴れてますぜ」と囁いた。
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カラスを食う話は昔からあるが、灯油臭が酷いとか、味を褒める人はいない。ただ、念の強い生き物であると怖れられてはいるが、祟られた話を聞かないのも不思議である。という話をすると、老先生は「切羽詰まった人間はそういうのは気にしませんでした」と、灯油でも食ったように顔をしかめた。
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あの秋の豪雨では、当時住んでいた地区の隣まで冠水があった。僕の地区では、なぜか小さなアパートの一階の一室の扉が開け放たれていて、そこへ濁り水が轟々と流れ込んでいた。地形的には完全に平地で、地下に大規模排水設備があるという話も聞いたことは無い。あの水はどこへ行ったのだろうか。
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セキュリティの堅固なメッセンジャーは便利なもので、俺たちの活動は当局には把握されていない。ニュースになった秘密美食クラブはメンバー15人が強毒変異株のウエストナイルウイルスにやられたが、このクラブは他に何人メンバーがいるか、誰も知らない。俺も一緒にカラスの刺身を食ったのだが。
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動物虐待犯がいるらしい。HRの時間、先生は箱や袋が置いてあっても絶対に開けるなと言った。
僕も見た。「コレハネコデス」と書いてあるみかん箱。
パチ屋の駐車場に「コレハネコデス」とあるフレコンバッグを見た次の朝、学校の校舎は何かの糸に包まれて「コレハネコデス」と書かれていた。

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大きな箱を見て楽器かな、と思ったのだけど、公園に箱だけ置きっぱなしというのは変だ。近寄ってみると、紙が貼ってある。
「コレハネコデス」
中から咳払いの音がする。成人男性だ。足音を立てないよう遠ざかり、警察に連絡をしようと電話を取り出した手を押さえられた。
巨大なもこふわの手。
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その日の午後、僕たちは脚付きのテレビの前で、どこかの街のビル街に流れる黒い煙の中継と、沈痛な低い声とざらざらしたノイズが読み上げる大勢の名前に釘付けになっていた。弟が腹にいた母は「映画ならいいのに」と呟いた。
あれはどこの事故だったのだろう。探してもどこにも見当たらない。
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郷里では街灯は役場の近辺にしか無かったが、目が慣れれば星明りやぼんやりした道の色などで、夜道を歩くにも不自由は無かった。それが街ではどうだ、弱々しい明かりで切り取られた狭い範囲の外側には、見たことの無い異様な暗さが茫漠と広がる。何が、どんな人がこの闇の中にいるのか。
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大アルカナ 0:愚者

逆位置同士で逆位置と言い合う光景はよく見るが、逆位置から逆位置を見て自分の向きが正位置と推測できる数理が全くわからなかった。僕は逆位置のまま推測を進め、正位置である必要を疑った方がいいことに気づき始めている。
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近所が一軒空き二軒空き、山合いの集落では猫の貰った貰われたも無くなった。納屋にいた最後の一匹は、昭和の猫のように「いなくなる」ことはなく、かけてやった毛布に包まって旅立った。いなくなっていた先代、彼女の母が顔を見せ、生前のようにすっと立ち去る。この集落にはもう猫はいない。
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廃墟寸前だった元パチ屋の駐車場に珍しく車が停まっている。ふらっと入ってみれば、車は軽トラやワゴンの屋台ばかり。既にタープを広げたり椅子を出したりしているところもある。人影は見えない。煮えているおでん種を覗き込んでいると、背後にいつの間にか屋台が増えている。人影は見えない。
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その夢では見覚えのあるものは何一つ出てこない。ものが見えてさえいるのかわからない。温かさと冷たさがぼんやり体の中を移ろい、何の音ともつかない持続音が腹に響く。音はもしかしたら黄色かったり赤かったりしたかもしれない。胎児の頃の記憶なのか、人ならぬもののメッセージなのか。
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熊本の八角トンネルは世界でも類の無い個性的な形で知られているが、なぜか行ったことも無いのに「見覚えがある」と言う人が時々ある。現地は清流と緑濃い森に囲まれた美しい里山の風景だが、見覚えがあると言う人のほとんどは、岩だらけの禿山だったはずと。単なるデジャヴュではなさそうだ。
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私の金魚の絵に彼が描き加えたのは何だっただろうか。水槽にかざすと、絵の金魚はぽんと飛び出して仲間たちと泳ぎ始めた。
「無から絵を描ける君に比べたら、こんなのつまんないよ」
金魚はふやけて崩れ、元の絵に戻る。彼は眼帯をつけた自分の目を指差し、肩をすくめた。
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学生の頃、センター試験の看板立ての作業などが行われている片隅で、教室の一つで机に白紙を並べている職員さんたちを見た。何をしてるのかよくわからない。霊感のある級友に話すと、そういえばこの手の行事にしては悪い気配が集まってないという。まあ何かは良い効果があったのだろう。
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工場に着いて母を呼んでくださいと伝えると、ああ、ミチコさんの息子さんなの、大きくなったわねえ。口々に母は通りの向かいの検査場にいること、母の名はミチコではなくカズヨであることなどを教えられ、おやつを一つもらって頬張りながらそちらへ向かう。母の名はこれで6つめ、工場は8つめだ。
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融雪装置が動く季節には、車の撥ね水が問題になる。中学の同級生にこれを喰らう名人の男がいた。小さな水溜まりでスポット的に撥ねられると回避も防御もしにくく、これを毎回浴びて近くの女子が気の毒そうな顔をするのだ。なお、この女子が転校して以来、なぜか彼は撥ね水を食らわなくなった。
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初めて彼女を見たのはいつだっただろうか。国立大の赤本を手にとって開いていたのを覚えている。
年月が過ぎ、彼女は同じ棚の前に時折現れ続けた。開いた赤本の表紙の大学名はずっと変わらない。その大学は統合で名前が変わったのだけど。
いつ頃から現れていたのかは、全くわからない。
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成人式の翌日と翌々日が本番だ。
「横丁の廃ビル班、戻りました」
「お疲れ様、ちょっと休んで踏切班のサポートに入ってくれ」
「了解!」
「峠班です、手が足りない……」
肝試しのあと怖い目に遭うのは彼らの労働の成果なんだよ。
「トンネル班です、新人入りました」
「でかした!」
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昔の不良青年は無人の神社などで酒盛りをすることがあった。ある晩、数名が酔った勢いで石造りの狛犬を動かし、向かい合わせて笑っていたところ、どこかで見たような小柄な老婆が現れ、ひょいひょいと元に戻して立ち去った。それ以来、彼らは進んで境内の掃除をするようになったという。

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成人式の集合写真に亡くなった級友が写っているという怪談は定番だが、逆に一緒に来たはずの同級生が写っていない話もあった。中高同じでいつもつるんでいた5人組が、4人しか写っていない。その前の写真も4人のものしか残っておらず、誰が写っていないか名前も思い出せなくなっているという。
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積もった新雪の上に足跡が見つかることは珍しくないが、家の周りを何周もしていた足跡はどう見ても人間の子供の裸足で、来た方向も去った方向もわからない。周った輪に出入りした痕跡は内側にも外側にも、どの方向にも無かった。

#呟怖

モスリン通りの三角屋根の
屋根裏部屋のお針子ばあや
魔法みたいなミシンの技で
何でも縫います直します
背広外套ズボンにシャツに
帽子手袋ぬいぐるみ
順番待ちの箱からのぞく
おもちゃに見えないそれだけは
誰もが見てるが話題にならず
ずっとばあやを眺めてる
#呟怖 https://t.co/SCTF9Pz1Tz

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